家族経営の一つの理想 ―(株)喜久春―

(株)喜久春の西山基文社長

こんにちは。長岡京市商工会経営支援員の小玉です。

 今日は和菓子部門から唯一の参加店でありNSB副代表でもある株式会社『喜久春』の西山社長にお話をうかがいます。

長岡京市の和菓子店を代表する『喜久春』さんの2代目としてのプレッシャーと決意とは?

そして、先代も含む家族が知らなかった秘密とは?

今日も最後までお付き合いください。


<シェフ紹介>

氏名 西山 基文

生年 昭和53年

出身地 京都府長岡京市


お店の子あるある?お店を手伝うのは当たり前!

西山社長にお話しをうかがいました。
西山社長と小玉経営支援員との会談

―今日はよろしくお願いします。40年続く長岡京では老舗と呼んでもいい喜久春さんですが、小さい頃はお店の子であるということで、周りの友達と何か違う事はありましたか?

 

(西山社長) 毎日お店に来てということはなかったのですが、和菓子はいろいろな年中行事に際して需要がありますので、そのような忙しい日には手伝いに来るのが当たり前でしたね。

 

―小学生の頃から和菓子を作られていたんですか!?

 

(西山社長) さすがに、小学生の時は作ってないです。(笑) でも、お菓子の箱詰めだったり掃除だったり、できることはやっていましたね。中学生になるといわゆる製造補助位の仕事ができるようになったので、忙しい日には貴重な戦力になっていました。

 

―和菓子屋さんならではですね。お店にこないとき、普段の生活はいかがでしたか?

 

(西山社長) 両親がいつも家にいなかったので、自炊することが多かったです。だから学校の家庭科は得意科目でした。リンゴの皮むきとかですね。


和菓子屋のサラブレッドは、余裕のスタート!?

喜久春の調理場
調理場では次世代を担う若い職人さんが研修中。

―なるほど、小さなころから和菓子に触れて職人としては早くスタートが切れたわけですね。和菓子職人としての経歴を教えていただけますか?

 

(西山社長) 23歳の時から大阪のどら焼きが銘菓のお店で修業を始めました。和菓子の基本をたくさん教えてもらい今の仕事のベースになっています。すぐに手が出てしまう厳しい先輩もいらっしゃいましたが、今思うととてもいい経験でした。

 

―あれ?職人としてのスタートは意外とゆっくりだったんですね。そのお店にはどのくらいいらっしゃったんですか?

 

(西山社長) 5年半ですね。28歳の時に『喜久春』に戻ってきました。それから先代の親父の指導の元さらに経験を積みながら、夜は組合の学校に通って「製菓衛生士」や「一級技能士」の資格を取る勉強を始めました。


実はロックな菓子職人!?

―話は少し戻りますが、高校を卒業してから修業を始めるまでの5年間は何をされていたのですか?

 

(西山社長) 音楽です。高校を卒業するときに仲のよかった友達に誘われて。ベース担当なんです。ヒットするのは難しい世界ですから、始める時から5年で芽が出なければやめようと決めていたんです。今和菓子屋になっているということは……。

 

―ん?ベース担当「だった」とはおっしゃいませんでしたね?

  

(西山社長) 鋭いですね。今でも月に一回、長岡京市内のスタジオに集まって練習しているんです。メンバーは仕事で関東住まいもいるんですが戻ってきてくれてます。年に一回くらいはライブハウスでライブもやっているんですよ。

 

―できる職人さんは。音楽にも一所懸命なんですね。

 

(西山社長) いえいえ趣味程度に続けているだけです。割合にしたら職人95%、ミュージシャン5%くらいなもんです。バンド仲間の仕事場から和菓子の注文いただいたり、切り離せない部分も多いですけどね。

西山親子
先代(父)喜久治さん。「素直に育てたのに、もうムチャクチャやった。家出したんかと思うくらい帰って来んかった。」
販売担当のお姉さん。職人さんでもある。
(姉)由美子さん。「西山家の黒歴史。まだ続けてるって知らなくて、保育園のママ友にライブハウスで見かけたよって教えてもらったんですよ!どう思います?」

偉大な先代のプレッシャーに耐えながら、目指す未来

喜久春の店内に飾られた賞状の数々。
店内の賞状の数々。
店内に飾られている賞状の数々が、重圧の程度を表しています。

―今は基文さんが社長という事ですが、代替わりされたのはいつごろでしょうか?

 

(西山社長) 今でもいろいろ口出しされるので、代替わりしているのか微妙ですけどね。7年前の33歳の頃でしょうか。親父が病気したこともありましたし。

 

―2代目として、社長として常に心掛けられていることは何でしょうか?

 

(西山社長) もう、本当に先代のプレッシャーが半端なくて。それでも、安易なことに走るのではなくて、和菓子屋として和菓子の本質・心を大切にした商品だけを作ることを心がけています。

 

―基文さんの代になって、新しくなったことはありますか?

 

(西山社長) お客様のニーズには敏感になっています。洋菓子の手法をとりいれた「ブランデーカステラ 」や苺だけではなくいろいろな「フルーツ大福」を作り出したのもこのためです。親父の代から作っているものも、素材を良いものに替えたり、よりおいしくなるように改良を日々加えています。

 

―そのこだわりにロックな魂を感じますね。(笑) 今後進めていきたいことはありますか

 

(西山社長) だから趣味、5%ですって!姉は「バースデー和菓子ケーキ」や可愛い「猫まんじゅう」を開発しました。今まで和菓子屋とは縁のなかったハロウィンやクリスマス用の商品も開発してくれています。私も親父と一緒に長岡にやってくる外人さんや観光客を相手に和菓子教室を開くことが多くなりました。長岡京を訪れる人、長岡京に住まう人が和菓子を通してもっと幸せになってくれたらと思っています。

 

―西山家の絆の深さを感じさせる(株)喜久春社長、西山基文さんの未来展望を頂いたところでインタビューを締めくくりたいと思います。今日はお忙しい中ありがとうございました。サンキュー、ロケンロー!!


和菓子の喜久春ホームページへのリンク
竹の子最中などお取り寄せスイーツ『和菓子の喜久春』ホームページ

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