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NSB洋菓子部門で一番歴史あるお店は波乱万丈 ーピエスモンテ・ヒロー

ピエスモンテ・ヒロのシェフ島田浩靖氏

こんにちは。長岡京市商工会経営支援員の小玉です。

今日ご紹介するのは『ピエスモンテ・ヒロ』のシェフ島田さんです。

NSB参加店の中で一番の歴史を持つ『ピエスモンテ・ヒロ』さんのこれまではまさに波乱万丈。そんな島田さんの口から満面の笑みとともに出てきた現在のキーワードとは?ぜひ最後までお付き合いください!


<シェフ紹介>

氏名 島田 浩靖

生年 昭和35年

出身地 京都市中京区


父親に熱望されて、24歳の若さで開業

島田シェフと小玉経営支援員との対談
島田シェフにお話を伺いました。

ー今日はよろしくお願いします。まず、菓子職人としての経歴を教えていただけますか?

 

(島田シェフ) 長岡京市の乙訓高校を卒業後18歳で父親の紹介で京都市内のお店に住み込みで入店しました。当時は親元が近い子はすぐに逃げ出してしまうので『住み込み』というのが条件だったんです(笑)ここで5年間修業して、24歳の時に東向日に開業しました。

 

―えぇ、24歳で起業ですか!?お父さんの支店というワケではなく?

 

(島田シェフ) 独立採算制だったんです。本当は30歳くらいまで修行するつもりで、最初の店をやめる時も次の修行先は決まってたんです。23歳の3月の事でした。その時、親父は『ヒロ洋菓子店』というお店を私が高二の時に知人から譲り受けて経営していました。余談ですけど『ピエスモンテ・ヒロ』のヒロは私の名前「ヒロヤス」のヒロではなくて『ヒロ洋菓子店』がルーツなんです。その親父がしつこく早く戻って来いって言うんです。気が付いたらその年の9月には自分名義でローンを組んで店を持つことになっていました。

 

―それでは、お父さんと二人三脚でお店の経営を始められたという事ですね?

 

(島田シェフ) それが、そう簡単にはすすまなかったんですよ・・・。


翌々年、父親他界からのつらい日々

回想する島田シェフ
想い入れのある道具を見つめる島田シェフ

―と、言いますと?

 

(島田シェフ) 私も、お店を営業しながら親父に経営と職人としての技術を教えてもらうつもりでした。5年間の修行で基本的なことは身につけていましたので。それが、私が開業した翌々年突然他界してしまって・・・。

 

―えぇ!お父さんがなくなってしまったんですか!という事は若くして2軒のオーナーに?

 

(島田シェフ) いえ、3軒です。親父がなくなる少し前に兄貴が突然脱サラして店を構えたんです。でも、職人としての経験は全くなかったので頑張ってはいたのですが、次第に行き詰まるようになり結局商売から身を引くことになりました。結果、3軒分のローンとリース代だけが残りました。幸いにもお客様はお店に来ていただいていたのですが、夜通し働く日々が続いても借金は減らず・・・。かといって3軒無いとローンの金利が支払えない八方ふさがりの状態でした。

 

―このままお話を伺っていいのか不安になってきました・・・。落ち着いて営業できるようになったのはいつごろからでしょうか?

 

(島田シェフ) 2000年ころでしょうか。ようやく借金にもめどがついてきて、結婚を機に3店舗を1つにまとめたんです。ようやく新商品開発など、自分の作りたいものを作る環境が整いました。


40歳を過ぎて、まさかの結婚&子育て!

乙訓高校甲子園記念ボール
島田シェフは甲子園出場を果たした 乙訓高校野球部OBです!

―結婚といえば、皆さん気になっていると思うんですけれど、奥様はお若いですよね?

 

(島田シェフ) 18歳差なんです。ローンの返済があまりに多くて機会をずっと逃していて、もう結婚はしないんだろうなと思っていた、41歳を目前に控えたときの出来事でした。

 

―よろしければ、出会いから結婚までのスイート・メモリーを教えていただけませんか?

 

(島田シェフ) 彼女の実家はお寺で以前からお付き合いがあったんです。彼女が大学入学の18歳の時にお父さんからバイトさせてもらえないかという話があり、最初はオーナーとバイトという関係でした。運命というのでしょうか、それから2年後にお付き合いすることになりました。年の差と経営状態をよく理解してのお付き合いでしたので当初から「結婚」というのは二人とも意識していたと思います。それで、彼女の大学卒業の年に入籍しました。

 

―周囲の反対も大きかったのでは?

 

(島田シェフ) 年の差に関しては周囲でも比較的よくあったことのようで、皆さんが想像されるようなことはなかったのですが、商売している家に嫁ぐというのはかなり心配されていたようです。実際まだローンは残っていましたしね(笑)結婚後ほどなくしてローンは完済し、愛娘も授かって今は安心していただいていると思いますよ。


家族で歩む、これからの『ピエスモンテ・ヒロ』

島田シェフの学生時代の絵
高校の美術の時間の作品。お金を払ってもいいから譲ってくれと言われ残ったのがこれだけだったそう

―結婚後ようやくやりたいことができるようになったとおっしゃっていましたが、これからの『ピエスモンテ・ヒロ』はどのようなお店になりますか?

 

(島田シェフ) 何とか70歳くらいまでは仕事がしたいと思っていますので、それまでは平穏に今の状態が続けばと思っています。私がリタイヤした後も妻の人生はまだまだ続くので、彼女の栄養士という資格が生かせるような業態に移行させてやりたいと持っています。

 

―ご自身の事で何か『夢』はありますか?

 

(島田シェフ) 実は私「絵」が好きなんです。幼稚園のころから絵を描くと褒められて、高校時代は美術部の先生に野球部と兼部してくれと頼まれたこともありますし美大への進学を勧められたこともあるんです。ケーキにキャラクターを書いたりするのもお客様に喜んでいただいています。ですので、オリジナルの絵本を書いてみたいんです。でも、なかなか時間が取れなくて…

 

―お店に高校の時の作品が飾ってありますけど、本当にお上手ですね。私たちNSBの取り組みの中でも何かお願いすることがありそうです。では最後に今の『ピエスモンテ・ヒロ』を一言で表すと何でしょう?

 

(島田シェフ) 『今が一番幸せです。』

 

ー幸せが言葉からあふれ出してますね。今日はありがとうございました。


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